踊る阿呆に観る阿呆♪ 同じ阿呆でも踊るのはムリ!

・・・てなわけで、秋冬は色んなお芝居やらバレエやらが目白押しで楽しみです♪
でもねぇ・・、取れないチケットもあるですよ。(>_<)
12人の優しい日本人』とか、全然取れないですもん。『天保十二年〜』レベルですよ。
(こんなに取れないと思ってなかったので、1つしか先行で申し込んでなかった・・。モチロンNG)
同じ日に、渋谷つながりで『贋作・罪と罰』を観ようと思ってたんですけどね。
欲張っちゃイカン!・・ってコトかしらん。
なんだかんだで、これから2月までに10本以上観る予定でおります。
他にも観たいのはあるけど、スケジュール的に厳しいかな、と。(笑)
・・で、以前よく聴きに行っていた人のライヴに、1年ぐらい行ってないなぁ、と思い。
「ナゼだろう?」って思ってたんですけどね。
行こうと思えば行けてた。
こっち(宮城)にも来てたし。
で、さっきその人のブログにあった言葉を見て、なんとなく、こういうことかなって思いました。
ライヴを終えて、少し時間が経っての日記に引用されていた言葉。
“アーティストの「孤独は必然」。”
「一人」と「独り」は違う。
「一人の時間」を持つことと、孤独とは違うと、私は思う。
けれど、その人にとって、自分の時間を持つということは、他を遮断することなんだな、と感じて。
ずっと感じていた、その人の「自分を確立するための壁」が、思い違いではなかったのだと。
なんかね、すとん、と、落っこってきてしまって。
私はアーティストではないので、そういう心境は解んないですけどもね。
人は、「一人」から始まって、「一人」に還るものだと思っているので、
「独り」になることが表現者であるなら、私はそういうものにはなりたくない。
まして、そういう自分を誇っているのだとしたら、その『音』は、威圧するものでしかない気がする。
・・なんて、ね。
「染まらない」音ではなく、「受け入れる」音。
それを望むのは、酷なのかなぁ・・?