相葉ちゃんのハナシ

広いだけでなく



昨日、『燕のいる駅』の大阪公演が、無事千龝楽を終えたそうで。
楽を観た方々の感想なんかも、ちらほら読みに行ったりなんかしたんですが。
以前、演出の宮田さんが演劇誌で、「観に来るお客さんに、何かを感じて帰って欲しい」みたいなことを言ってらして、
たぶん、それぞれが「何か」を感じ、「何か」を抱えていったんじゃないかな、と思います。
もう舞台が終わってしまったので書きますが、最後のほうの、
『俺だけが何にも知らなくて・・・!』
っていうあたりは、今回の舞台のために加えられたものです。
(少なくとも、私が読んだホンにはない部分です)
友紀ちゃんに対して、『俺、誘えなくて・・』とか、『榊原のこと、教えてください』って言うとことかもそう。
元々のホンは、もっと淡々と終わってしまいます。
高島くんはベンチを蹴り倒したりしないし、最後に燕のヒナを手にのせたりもしないです。
もっと、怖いんですよ。
ただ、抗いようのない終焉に向けて、静かで穏やかな恐怖みたいなものを残していくの。
♪この道は いつかきた道 ああそうだよ アカシアの花が咲いてる♪
って歌が、暗転した舞台に流れて、終わるんです。
救いも希望もないの。
でも、今回の舞台では、それでも生きる意志みたいなものを残してますよね。
それはたぶん、相葉ちゃんの“高島くん”だからなんだろうなぁって思うんです。
ただ優しいだけの高島くんではなくて、
辛くても、悲しくても、たくさん後悔しても、
それから逃げない強さを持っている、って言ったらいいのかな。
全部を受けとめようとする強さと優しさ。
それが、相葉ちゃんの“高島くん”。
ホント、相葉ちゃんからはね、“言葉じゃないもの”で教わることが多くて。
今回の舞台もそうだし、コンサートとかでもそう。
言い方ヘンですけどね、“出し惜しみしない人”だなって思う。
でも今までって、たくさんあり過ぎて、自分のどこに何が入ってるかわかんなくなっちゃって、
出したい時に出せなかったことは多々あったんだろうなって。
それが、今回の舞台で、引き出しの開け方(どこに何が入ってるか、とか)が解ってきたんだと思う。
なので、ますます楽しみです♪