偏光と自然光


今日は、『燕のいる駅』を観てきました。
嵐の相葉雅紀くんが主演しているお芝居です。
でね、相葉ちゃんってすごいなぁって。
たぶんね、少しでも芝居をかじったことのある人なら、そんな風に感じると思う。
何て言えばいいのかなぁ・・。
感情が感情として、そこにあるの。
それは、整理整頓された、洗練された感情ではなくて、彼の中にある、ものすごくリアルな感情なのだけど、
それがとても、切なく伝わるんですね。
役者はね、こういう演じ方、しません。
それは、彼が役者として成り立っていないってコトではなくて、
整理されていない感情を観客に伝えることの出来る稀有な人、という意味です。
以前、相葉ちゃんという人は“自分が感じたり思ったりしたことを言葉や文字に変換せずに、そのまま抱えてしまう人”だ、と書いたことがあったんですけど、
今は、それをそのまま伝えられる術を身に付け始めているんだろうなぁと思います。
彼の、この芝居に関するインタビュー記事で、『タンスを買って、引き出しに物をつめているところ』という言葉があったんですけど、
私はむしろ、引き出しの開け方(カギの使い方)を見つけたんじゃないかと思ってます。
だから、タンスを増やしても大丈夫になった。(笑)


難しいお芝居です。
役者に中身と魅力がなければ、なんの変哲もない、平凡なものになる危険性がある。
でもあえて、土田さん(脚本の方)が仰るところの『地味な芝居』を選んだ演出の宮田さんは、素晴らしいな、と思います。
そして、脇をかためるキャスト陣の選出も。(あれだけ上手い役者を揃えられるのって、宮田さんの人徳だと思います)
お客さんのね、多分、半分くらいは、意味わかんないと思うんです。
でも、それでいいと思う。
自分が人生を歩んでいく上で、少しずつ少しずつ浸透して、いつか自分でも気付かないうちに、心の底に沈殿するものだと思うから。
そういう「怖さ」と「生きる希望」みたいなものを、相葉ちゃんは、その全身で伝えてくれている。
すごい人です。ホント。


・・・なんか、こんな風に書くと、ものすごく深刻な暗い話のようですが、
劇中の半分は、すっごい笑います。
涙が出るほど笑って、それと同じだけ、涙があふれます。
今回、相葉ちゃんは、私がホン(脚本)を読んで想像した以上に、たくさんのものを伝えています。
それは、観客ひとりひとり、受け取る種類も量も違うと思うけれど、確実な「何か」を残せていると思う。
最後に、高島くんの手の中の燕のヒナが、口をパクパクさせて、ちゃんと動いていて、
それがたぶん、生きる理由の始まりなんだな、と。
そして、その命をいとおしむことが、生きていくってことなんだな、と。
そう、感じました。