青になる直前の赤

今日は二宮くんの主演する舞台、「理由なき反抗」を観てきました。
二宮くんの舞台を観るのは2度目なのですが、今日観た舞台での彼の印象は、
「温度差のある人」でした。
彼をとりまく空気は、対する人や、その時の状況や感情で様々に変化する。
その温度差が、“ジム”という人間を周囲から浮かび上がらせ、より色の濃い存在として説得力を持つ。
プラネタリウムでプレイトーを説得するシーンで、彼の言葉は、私の頭にではなく、
心に直接届いていたような気がします。
彼の発する声のトーンや、言葉の1つ1つが、考えなくとも心に響く。
それはたぶん、“ジム”が“プレイトー”に対して、そういう気持ちを持っていたからなのでしょう。
私は舞台の上に、“ジム”という人間をずっと感じていたし、
彼の動きも表情もしぐさ声も、全て“ジム”だったと思います。
ジムが対する一人一人に、どう思い、何を感じているかが、その全てから伝わったし、
彼の苛立ちも怯えも愛情も、その度ごとに変化していたな、と。
プレイトーの中に、彼は自分を見つけ、そしてプレイトーのために、ある意味、「大人」になろうとしたのではないか、と。
「自由とは、自分の言動に責任を持つ事」
その意味を、彼は、他人への愛情の中から見つけた。
私、映画の「理由なき反抗」も見てるんですが、全く違うものでしたね。
映画のほうは、大人と子供の距離の変化だけれど、
今回の舞台は、子供が成長していく変化、という気がしました。


そうそう、二宮くん、タップ本格的にやったらいいのに。
シャッフルの基本形、きちんと出来てたし。
(おまわりさんに、足を踏み鳴らしてるだけだ! なんて言われてましたけど、ちゃんと踏めてましたよ)


始めのほうのシーンで、二宮くんが『ロック・アラウンド・ザ・クロック』のフレーズを
口笛で吹いてるのを聞いて、すっごいフシギな感じだったんですけど、
「理由なき反抗」って、50年代の映画ですもんね。アリなんだわ。(笑)


今回は、舞台美術が朝倉摂さんだっていうのも、すごく興味があったんですけど、
ドアがすごく有効的に使われてて、場面転換が心情を表してたりもして、すごく良かったと思います。
(昔ガッコで、一度だけ特別講義を受けた方なのです)


今日、1度だけ観て、心に留めておくか、
もう一度違う角度から観てみるか。
う〜ん、考え中。(笑)
深刻なシーンに笑いを組み入れたスタイルは、私かなり好きなので、
そのへんの遊びゴコロをもう一度感じてみたい気もします。
さて、どうしましょう・・?