咲クは 十六夜、早や 寝待ち月


昨日はですね、舞台のハシゴをしてきました。
何を観てきたかと言いますと、
天保十二年のシェイクスピア』と『燕のいる駅』でございます。m(__)m
しかも! 『天保十二年のシェイクスピア』。立ち見です。あはは〜。
いや、4時間もあるなんて最近まで知らなくて、某カレのニッキで知らされたワケで。
「う〜そ〜っ!!!」・・・と思ったのですが、そこはそれ、立ち仕事してますんで、
「ま、なんとかなるだろ」と思いまして。
そう言や、『浪人街』も立ち見だったんだよな〜。
唐沢さんの出てるお芝居、立ち見でしか観てない。(笑)
でもね、面白かったですよ♪
いや〜、お子さまにはちょっと、刺激が強いですケド。
R15指定どころか、R18指定ぐらいかも。
これって、Wow Wow で流せるのか・・・?
引きで撮ってるならOKなのか・・・?
まぁ、ともかく。
“蜷川さんの舞台”と言うには、役者個々の個性が強過ぎるんですが、
結局、そのバランスをとってるのは蜷川さんなので。
“蜷川さんの舞台”になるんでしょうね。うん。
魅せる役者さんが、これでもかって言うぐらい出てるんですよね。
唐沢さんは異彩を放ってるし、夏木さんは最初の出から、お客さんの心をつかんじゃってるし、
藤原くんは、おバカなとこと真剣なとこを、どうしてあんなにも一人の人間として成り立たせてしまうのか不思議な程だし、
語り部として出てた役者さんも上手かったなぁ・・。
あと、篠原涼子ちゃんが、すごくチャーミングでしたよ♪
藤原くんとのバカップルぶりが、えらく可愛かった!
一言で言うと、豪華!! なんですよね。
コクーンの良さが、余すところなく使われていると思ったし。
ただ、1つだけ「うーん・・」って思ったのは、音楽。
あれ、和楽器でやれば良かったのに・・。 太鼓とか三味線とか尺八とか。
歌舞伎の『十二夜』の時も思ったんですけどね。(チェンバロの調律について)
今ドキの邦楽家なんて、普通に譜面読める人が多いんだから、頼んでも良かったと思うんですけど・・。
それだけちょっと、気になりました。




で、『燕のいる駅』なんですが。
今回ですね、席がすごい観やすかったんですよ。
1階席の真ん中へんの真ん中へん。
前回は2階席で、こちらはこちらで観やすかったんですけど、
細かい表情とかね、近いほうがより見えるわけで。
でね、そうするとやっぱり、感情もより伝わるわけです。
なんかね、役の人達が、ホント愛しくて。
日々の中に楽しみを見付けつつも、見えないものがどんどん近付いてくるような不気味な怖さを、なんとなく感じてるわけです。
心の奥底では不安を抱えながら、それこそ“見ないように”して生きてる。
でも、“それ”は突然訪れる。
高島くんはね、一日のうちに、たくさんの大切なものを失くすんですね。
それは、当たり前に日常の中に含まれているものだったのに、
突然、もぎ取られるようにして、失くなってしまう。
それでも最後に、彼の手の中には小さな命があって──。
今回、近くで見てて気付いたんですが、燕のヒナが口をパクパクさせているのを見て、
ちょっとだけ微笑むんですね、高島くん。
でね、またクシャって泣き顔になるの。
──高島くんだから。
「ゾウが乗せられるんなら、イヌもサルも乗せられるだろ・・!!」
って言う、高島くんだから、
そんな表情になるんだろうな、って。


もう、楽(千龝楽)近くだからか、役者さん達の中にも、それぞれの役が浸透してるみたいで、
ホントに愛すべき登場人物たち、でした。


いやもう、最後、カーテンコールでも、なんか泣けてきちゃって。
こういう、きれいな涙を流せるうちは、私もまだ、前を向いて生きていけるな、って。
(“きれいな涙”って言うのは、自分の為とかじゃなくて、心から他人の事を思って流す涙、ってコト。)
お客さんもね、みんな何かを感じているはずだから、
分析とかせずに、感じたままを抱えていって欲しいな、って思います。
そして──。この舞台にめぐり会えたことに、感謝します。