痛みと傷と焦燥感


たまさか他のブログさんを読み巡っていて、ちょっと気になるコトがありまして。
まぁ、それに関連して・・ってことでもないですが、感じたことを。


以前にも書いたと思うんですが、幸せって、なるもんじゃなく感じるものだと思ってるんですね、私。
幸せな状態に自分を置こうと考えるよりも、一つ一つ、幸せを感じることのほうが、色合いとか味わいがあると思ってる。
でね、日本って取り合えず、平和じゃないですか。
そりゃ、色々取り上げたらキリがないけれど、現時点で飢えて死んでいく人が全死亡率の4割を越えてる、とか、
戦争の真っ只中で、明日地雷を踏んで死ぬかもしれない、とか、
そういう切羽詰った環境ではないですよね。
でも、自殺する人はいるし、予備軍もたくさんいる。
例えば、アフリカとかの人たちに、日本で自殺者が増えている、なんて話をしたら、
そんなに恵まれているのに、何故自分で死ななきゃいけないんだ!?・・って感情になると思う。
もっと身近なとこだと、国内でも、難病で明日の命すら知れない人もたくさんいる訳で。
そういう人達からしたらね。
「その命、ちょうだいよ・・!!」
だと思うんです。
人は、それぞれ個々に悩みとか苦しみとかあって、それを他人が推し量ることは難しいけれど、
それでも、例えば今、私にものすごくやりたい夢みたいなものがあって、でもそれを叶えるだけの時間がなかったら、
私はたぶん、『死にたい』なんて言ってる人に対して、怒りの感情しか湧かないと思う。
「いらないんなら、私にちょうだい」って。
未来も、生きてる意味も、自分で作っていくもので、でも、そうしたいって思っても、出来ないことのほうが多い。
戦後の日本では、ご飯をオナカいっぱい食べることが夢だったかもしれないし、
教育を受けて、色んなことを知ることが夢だったかもしれない。
周りなんて、同じ日本人でも、助け合えるほどの余裕はなくて、自分が生きてくことで精一杯だったかもしれない。
信頼とか愛情なんて、紙一重で裏にも表にもなるものだったかもしれないけれど、
それでも人間は生きて、日本なんて、こんなに高度経済成長しちゃって。
で、それが当たり前になってしまうと、「もっともっと」って欲がでる。
でね、人間って、ないモノねだりで進化してきたんですよね。
空を飛びたい、とか、もっと速く移動したい、とか。
だから、「もっと幸せになりたい」って思って、それが裏っ返しになると、「自分は今、幸せじゃない」になるのかも。
・・人でもモノでも、出会った時に、そこからどれだけのものを引き出せるか、感じられるかっていうのは、受け取る側の問題なので。
たくさん感じ取れる人は『幸せ』だと思うし、ほんの少しでも濃密なものを感じ取れたら、それも『幸せ』だと思うし。
他人と比べるものでもないと思うし。
・・うん? ハナシがまとまんなくなってきたゾ・・?
要するに、自分の痛みは他者に全てなんて伝わるわけもなくて、味方だの敵だのって、自分を守るのも悪いとは言わないけど、
傷を受けても触れ合いたいものがあるなら、きっとそれが、人間が生きてく意味なんだと思う、ってコトです。
原始時代の人達が、現代人の悩みを聞いたって、理解出来なくて一蹴されるよ、きっと。
だから、そんなもんだって思って、悩んで苦しんでも、他人全部を憎みたくなっても、
それでも、小さな命を大切だって思える気持ちがあるなら、そこから始めていけるし、ね。
強さと紙一重に弱さはあって、でも、その反対もあるわけだから、
自分の弱さに甘えることも、自分の強さを信じることも、ほどほどに。
自分と他人を認めて、そこから歩きだす一歩のほうが、大切なんだと私は思うので