身体が弱いっていうのと、心が弱いっていうのは、同じだけの負荷がかかっている気がする。
弱いのと甘えているのは違って、自分でもどうにもならない弱さというものがあるのだ、と、最近思う。
私は元々楽天的な人間なので、心が弱るということはないのだけれど、それでも風邪をひいてるみたいなカンジになることはある。
ダルいな、とか、シンドいな、とか、そんな程度だけれど。
ただ、風邪薬が絶対的に効かないのと同じように、特効薬はなくても治す方法はあるわけで。
成長するにしたがって、治し方も心得ていく。・・はずなのだけど。
なんかね、弱っている人が強くなれる場所があるといいね、と思う。


昨日、「マンモス団地の孤独死」みたいな特集をテレビでやっていたのだけれど、
少し弱っている人(この表現が適切かどうかは疑問だけれど)は、社会に受け入れ辛く、また、保護もしてもらえない、という立ち位置になってしまうらしい。
『日常生活に支障はない』と診断書に書かれれば、国からの保護を受けることは出来ず、かと言って、職に就くには厳しい状況。
身体でも、心でも、弱さ=甘え or リスク、になるんだろうか・・?
確かに厳しいとは思う。
年齢が高くなればなるほど、それにともなった含蓄がなければ、必要とされ辛くなる。
若いほうが便利に使いやすい、というのは、企業側にしてみれば当然だろうし、管理職はそんなに多くはいらない。
その一方で、団塊の世代が定年を迎えると、技術系の企業は商品の質がかなり下がる危険性が高いらしい。
システムの開発当初から関わってきた人たちや、コンピュータに作業させるための数値のデータを提供してきた技術者たち。
その職人的な技術は、一朝一夕で出来るものではなく、いくら優秀でも、今の若者では歴然と差があるんだそうで。
なんかね。そのへん上手く、出来ないのかなって思って。
年齢を経た人たちだから出来ることってあるように思うのだけど、そういうのを展開していけたらいいのになぁって。
弱さって色々あるけれど、強くなきゃいけないっていうだけじゃなくて。
なんかね、そういうことを、保護するっていうんじゃなくて、活かすような方向に持っていけたらいいのにって思うんですよ。
例えば、海外への支援とかでも、ただ物資を送るだけじゃなくて、そこにいる人たちが自立して生きていけるような支援のほうが大切だと思うし。
ちょっとね、考えたりするわけですけども。
何が出来るんでしょうね、私。
自分もちっぽけですからね。
うん、でも、考えていきたいなって、思うんです。