『生き残ってしまった』のか『生き抜いた』のか

 
先日、わたくし、『硫黄島からの手紙』を観てまいりまして。
ん〜、なんていうか。
色々考えながら観てまして。
もっと泣くかと思ってたんですが、思ったほどではなくて。
それよりもすごく、色々考えてしまって。
不思議と、観終わって日にちが経ってからのほうが、泣きそうになったりしています。
 
戦争という“非日常”の中で繰り返される日常は、自分ではあらがいようもなく、「死」へと向かっている。
ほんの少し前まで、知り得なかった、緊張と恐怖。
人の感情。
 
何かを守り、戦うということは、
守られるという望みを捨てること。
 
観ている時。
「色んな“眼”が欲しい」
って思いました。
世代も民族も越えた“何か”を伝える、この映画を、
私以外の人達は、何を思い、何を考えて観るのだろう、と。
10代は? 60代は? 北朝鮮の人は・・?
 
硫黄島〜』を観て少しして、昔このブログで自分が書いた、
二宮くんに対しての文章を思い出して、
まさに、彼はこの映画で体現したのだ、と。
・・一個、すごく好きなシーンがあって。
後半のほうで、加瀬くんと話してるシーンなんですけど。
そこに、“西郷”が集約されてる気がして。
 
悲しくて恐い映画なのに、
最終的に、「人間って、弱いけど、強い」って。
そんな希望みたいな、小さな“願い”みたいなものが残って。
だから、この映画を観た人たちが一人でも多く、
「自分の家族や友達に、こんな思いはさせたくない」
って思ったら、戦争なんてものは、この世から無くなるんだろうって、思いました。
 
〜戦争は 何も生まない
 ただ なくなっていくだけ〜