明日の鼓動

「今を生きる」という言葉があるなら、「明日を生きる」という言葉もあるはずで、
それは、明日のために今日を生きるというのとは、たぶん少し違って、
明日の自分をイメージするような感覚なのかもしれません。
自分の中から生まれた言葉で、今でも時々繰り返すのは、
【明日の鼓動に歩幅を合わせたら 今日に負けない自分になれる】
というもの。
これは、以前書いた、バイオリンの師匠の曲につけた詞の一節で、
自分で書いた言葉なのに、自分ではないようで不思議です。
元々楽天的と言うか、ヤなことでも一晩眠ったら忘れちゃうような性格なんですが、
それでも思うトコロはそれなりにあるわけで、
そういう自分に期待するための言葉なのかもしれません。
人の爪先には、小さな羽根があって、前を向けずうつむいた時、その息吹に気付く。
それは、まだとても小さいけれど、いつか大きな翼になって、その背にあるから、
一歩ずつ、明日の鼓動に合わせるように歩んで行こう、と。
楽天的な上に単純なワタシは、そんなんで結構元気になったりします。