Where is the truth

 
最近、流されているニュースの内容が、生産的じゃなくて、
「なんだかねぇ・・」
と、タメイキばかりついている。
自殺、いじめ、履修不足、給与詐欺、etc.
時々。人間の遺伝子には『自殺』がプログラムされているんじゃないかと思うことがある。
『人間』という種が、飽和状態に達し、医学の進歩によって、“死ににくい”状態になった時に発動するプログラム。
キーワードは、“ストレス”。
ある一定のストレスを科された時に、それに絶えられない人間に発動する時限爆弾。
ライオンが、我が子を谷底に突き落とすように、あるレベルのストレスに対応出来ない者は、自ら死を選ぶ。
・・だってね、どんなにいじめられたって、そんな数年の事と、親とか兄弟とかの悲しみって、本来、量りにかけられるようなものじゃないと思う。
自分の死より、肉親の悲しみのほうが辛いって、本来、解ると思う。
なんで、いじめなんかやるような、つまんない人間の為に、自分を犠牲にしなきゃいけないんだ?・・とか、
どんなにシンドくたって、親を悲しませるような事は、絶対にしたくない、とか。
もっと、違う方法はいくらだってあるはずなのに。
・・・私は、いじめを正当化したり、仕方のない事として済ますつもりは、さらさら、ない。
いじめやるヤツは、ただの弱虫だ。
多勢に無勢だから、いじめなんであって、1対1なら、喧嘩になる。
自分の好き嫌いに他人を巻き込んで、民主主義を悪用するような人間は、所詮弱い。
そんなバカの為に、自分の命や人生を、自分の手で閉ざすなんてことは、ものすごく馬鹿げた事だ。
でも、最近は、自ら死を選ぶ人間が増えてる。
『なんでだろう?』って思う。
だって本来、生まれたら生きるのは当たり前のことだ。
物凄い確立の中から出来上がった自分に、どれだけの可能性を追求出来るか。
人間には、自己をプロデュースし、分析し、人生の最後に振り返るという、楽しみを与えられている。
それは、人間に与えられたギフトであって、とてもラッキーな事だ。
例えそれが、病気と闘う日々であったとしても。
それとも、こんな風に考える私は、幸せなのか・・・・?
 
不幸なのは、何も手に入らないことではなく、欲するものが何もないことだ。
私は、明日の朝も、母が作ってくれた朝食が食べたい。
だから、死なない。