かけがえがない


「かけがえ」という言葉を辞書で引くと、
【予備のために用意しておく同種類のもの。かわり。】
と、ある。
かけがえがない、とは、もうそれしかない、ということ・・?
じゃあ、それが失くなってしまったら、どうするんだろう。
そこからまた、全く違うものを見つけるの?
私は、そこまでのものを、自分の中に持ったことはないけれど、
それってどういう喪失感なんだろうって思う。
大切のなものはいくつもあったし、その内のいくつかは失くしてきた。
でも、それが「生きる」ってコトで、形やテンションは違っても、重みや温度は同じぐらいになることもある。
そういう「強さ」が、人を進化させてきているとも思うし、実際、失くしたものの分だけ、容積や深度は増していると思う。


世の中には、知られていない凄い人というのは、たくさんいて、
お台場の埋め立てが決まった時に、20代前半にして、東京湾に人口干潟を作ることを提唱した人、とか、
人口衛星を着陸させるためのマーカーを開発した、町工場の人、とか。
別に大々的にならなくても、きちんと、着実に、確かなものを残している。
じゃあ、「私」は・・?
私はどうなんだろう、と、自問してみる。
目指すものは何だろう。
大きな枠組みを捉えた視野で、頑張っているだろうか?


「かけがえのない」ものは、いくつあってもいい。
一つである必要はない。
なんとなく、そう思う。
その一つ一つに全霊を込められるなら、ひとつひとつ、「かけがえがない」のだから。
だから、そういうものを、見つけて、抱えて、生きて行きたい。