望むまま、願うまま。


自身の内に向いた「欲」は、人を成長させるけれど、
他者を置いていってしまう可能性もある。
普通の人間には理解の出来ない高みは、
そこに達しようとする過程において、曖昧に見えることがある。
そして、理解の枠を超えたものを、人は安易に非難する。
だから、高みが見えている者は、過程を“見える”形で具現化するか、
誰もが圧倒的に目のあたりにするほどの大きさになるまで、
黙々と歩み続けるようになる。
どちらを選ぶかは、自分次第で、他者をどう感じているかにもよるけれど、
ただ、どの道を通っても、目指す場所があるなら、「解る」人間には解るだろう。