思考と意識とアイデンティティー


1つの組織や世界にずっと居ると、そこの不文律が自分の常識みたいになってしまうことがある。
天下りや談合なんていうのがいい例で、“習慣化”と“常識”が同じもののように意識の中に根ざしてしまうのだ。
私の今のバイト先も、組織としては結構大きなところだけれど、
ある日「それ、常識でしょ。」と言われたことが、私からするとどう考えても一般的常識とは違うもので、
『私は染まらないようにしよう』と、改めて思ってしまった。
某業界にいた時は、男は女を口説くのが礼儀で、世間一般的なモラルというものは通用してなかったしなぁ・・。
(だからと言って、仕事にまでルーズというワケではなくて、むしろ厳しいのだけど)
人間は、基本的には、弱い。
他人の言葉のせいにして、自分を甘やかすのはラクだし、私もその一人だ。
ただ、自分の成すべきことは見失いたくないし、自分が自分に対して、最低持つべきプライドは失くしたくないと思う。
最終的に、自分が自分であるための誇り。もしくは、存在価値。
それは、自分自身が目指すものに比例するのだから。