歌舞伎三昧

liutaia2005-07-15

先日、とあるブログさんで、歌舞伎のことについて書かれていたものを読んだのですが、
歌舞伎というのは、本番までにあまり稽古期間というものをおかないらしく(新作の場合は例外ですが)、
だから、チケット代もあのくらいに押さえられるんだなぁ、と思ったりしました。(末席は2,000円以下の時もあります)
要するに、稽古期間が長ければ、その分拘束期間も長くなるわけで、そうするとその分チケット代も高くせざるをえない、と。
ってことは、プロとしての技術力の高い人が出ているものほど、観客にとっての間口が広い、ということなワケです。
(まぁ、生オケ使うとか、美術的に予算がかかってるとか、小屋のキャパが小さいとか、宣伝費かけ過ぎ(笑)とかの都合はあるでしょうが)
で、蜷川さん演出の歌舞伎、「十二夜」を観てきました。
原作はシェークスピア、脚本は歌舞伎、演者も歌舞伎役者、という、なかなか想像し難い作品だったわけですが、
なんと言うか、ポンっとハマってまして、訳された日本語でのシェイクスピアを観るよりも、解りやすいなぁ、と。
歌舞伎の七五調(って言うんでしょうか?)のリズムと、シェイクスピアの韻を踏むような言葉遊びの妙が、感覚的に近いのか、
すごくすんなりと耳に入ってくるんです。
で、歌舞伎特有の早変わりで、双子の男女(菊之助さんの二役)がパッと入れ替わるんですが、双子の女性のほうがさらに男装したりするもんで、これでもかって言うぐらい、魅せる魅せる!!
ま、2人が一緒に出る場面もあるわけで、そういう時は違う人が立ってるんですが、立ち方が違い過ぎて(もうちょっと『立てる』人を選んで欲しかった・・)、「あちゃ。」ってカンジでしたが。
でも、ホント、主役クラスの方々は、すっばらしく魅力的でした!!
個人的には、「麻阿」役の亀治郎さんが好きですね。
動きは軽やかだし、台詞の間は絶妙だし、ホント素晴らし!
蜷川さんのシェイクスピアは、独特の匂いみたいなものがあって、歌舞伎の「間」に慣れている人(演者も観客も)には、多少の戸惑いはあると思うんですが、
お芝居としてのクォリティは、ものすごく高いし、とっても良い作品です。
ただひとつ、音楽に関して、冒頭とか途中でチェンバロを使ってるんですけど、おもいっきし西洋音律で調律してあって、
私としては、ちょっと違和感。(その違和感をねらってるのかもなんですが)
笛や鼓と合わせたりしてるので、もう少しそちら寄りの調律でも良かったんじゃないかな、と思いました。
せっかくチェンバロ使ってるんだし。
総体的には、やっぱり贅沢な娯楽だなぁ、と。
以前にも書いたんですけど、歌舞伎ってホントに『大衆の娯楽』として存在するもので、場内で飲食OKだし、上演中でもオバチャンとか喋ってるし、
普段、劇場とか映画館でのマナーに慣れてると、「い、いいのか?これで。」的な部分も多々あるんですけど、
結局、そういうスタンスで観せることを、ずっと伝統として守ってきてるんだろうなぁ、と。
今回は、ギリギリに着いてお弁当が予約出来なかったので、次回はトライしたいと思っております♪
で、次回は「八月納涼歌舞伎」です!
松竹の先行販売で、チケットがどんどんハケていってしまってたので、一般で取れるんだろうかとヒヤヒヤ(死語?)してたんですが、無事取れました! 
一日中、歌舞伎三昧でございます。(3階席ですけどね)
一部・二部・三部と、別々に取らなくちゃいけないので、ちと大変でしたが・・。(通し券ってなかったのかしらん)
獅童さんの弁慶と七之助くんの牛若丸とか、勘太郎くんの野弧五変化とか、勘三郎さんはお初にお目にかかります、だし、
納涼です!楽しみです!!(笑)