優しさの絶対値

時々がんばる

 「優しい」という言葉は、ひどく曖昧で、
誰かの行為を誰かが「優しい」と感じなければ、それは優しさにはならないのだろうかと思うと、
なんだかとても理不尽な言葉のように思えてきます。
誰かが誰かを思ってした行動が、実は迷惑になっていたとしたら、それはもう「優しさ」ではないのでしょうか?
世の中には、気遣いはするけど優しくない人、というのもいて、要するにその場をうまく収めることに神経を使う人、ですね。
嫌な思いをしないように、とか、させないようにとか。
それが全くいけないことだとは言わないけれど、ともすれば問題の先送りにしかならないこともあるし、難しいです。
相手のことを気遣うのが優しさの一つだとは思うけれど、どこまで気遣うかが優しさの絶対値じゃないかと、私は思います。
1年後なのか、5年後なのかはわからないけれど、先を見て誰かのために行動する。
それを「優しい」と感じるかどうかは、結局相手の側の問題になってしまうけど、
そんな風に他人の事を考えられたら、自分の人生を終える頃には、多少なりともその値は高くなっているんじゃないか、と。


 最近、私は私、と強く思うようになってきています。
結局、他人の目の中で良く映ろうとする人間は、自分をどこか屈折させて生きているように思うので。
素直に泣いたり、笑ったり怒ったり、何かを好きと思ったり嫌いと思ったり。
自分自身のことを語る時に、出来るなら「好きなもの」だけで語りたいなぁと思うのですが、
どうしても「嫌いなもの」が出てきてしまうのは、仕方ないんでしょうか・・?
これも、自分の絶対値なのかもしれませんね。(笑)
Y軸は自分。X軸は他人、もしくは世間。
(ん?合ってるかな?しばらく数学なんてお目にかかってないから違うかも)
マイナスのマイナスにはならないようにしたいものです。(なってるかもだけど)
でもね〜、躾のなってない、おバカさんの人生にまでは優しくなれないわ〜。(笑)
・・まだまだ修業が足りないです。ハイ。


全然関係ナイんですが、バイオリンやってて良かったなって思います。
言葉以外の自分の表現方法が欲しくて、大人になってから始めたんですけど、
最近ようやく少し、言葉のように弾けてきていると思うので。
もし踊り(バレエ)を続けていたら、そっちのほうが私にとってはネイティブだったんですけど、ね。

♪♪♪