心の内訳

祈り

このところずっと、ニュースなどで小学6年生が同級生の命を奪った事件が報道されていて、
報道されていることからだけの情報だと、「自然を大切に」という言葉と、「うぜえ」とか「愚民」とかいう言葉が、同じ人間の中から出ていることが謎だ、と。
私は、彼女の行動は理解出来ないけれど、気持ちは少しわかる気がします。
だって、自然は彼女を傷付けないけど、人間は彼女を傷付ける。
そして、「愚民」は彼女にとってたぶん、生きている価値のないもの、だったのでしょう。
本当は欲していたのかもしれないけれど、小学校6年生の彼女には分からなかった・・。
人間って、優しい部分も冷たい部分も持っていると思います。
優しい人は、心の全てが優しいわけじゃない。ただ、パーセンテージの問題と、自分をどういう方向に持って行きたいかという、本人の意志(あるいは環境)によって、そのパーソナリティは形成されていると思うのです。
その「意志」の部分で、彼女は間違った方向に進み、結果、一人の人間の、これから無限に広がったであろう可能性を、消してしまった・・。
そしてたぶん、彼女はまだそのことを認識していないでしょう。
その年齢にありがちな、潔癖性と空想性。そして、現実逃避。
【とても好きな友達が私を攻撃する。これは現実ではないはずだ。そう、彼女は私の友達ではなく、人間以下の醜い生き物なのだ。こんなものを生かしておいてはいけない・・。】
本当は、自分を保つためにそういう空想をしたとしても、それを実行することはなくて、だんだん心のバランスを自分でとれるようになると、自分はひどく幼かったのだと振り返るようになるのでしょうが、彼女は実行してしまった。
バーチャルと現実が一緒になってしまった・・。
最近思うのは、他人が傷付いているということを解っていない人間が増えたということです。
自分の傷は大きな痛みとして感じるのに、他人はそうではないと思っている。
まるで、ゲームの中で倒した相手が、リセットすれば何回でも生き返ってくるかのように。


一番最初の日記に、躾の出来ていない大人が多いと書きました。
そんな大人に育てられた子供は、他人の気持ちを考えるということを学ばずにいるのかもしれません。
そして、子供もまた、自分で考えることをせずに、「正解」を覚えるという作業を繰り返してきたために、正解がわからないことにぶつかった時、バーチャルの中に正解を見つけようとするのかもしれません。
正当化された悪意を持って。