さくら

全部・・!



さて、昨日は『ビューティフル・ゲーム』を観てきました。
とりあえず、ほとんど何の予備知識もない状態で行きまして。
で、まぁ、色々考えつつ、帰ってきたんですが。
えっとまず、歌も踊りもレベルが高いな、と思って。
で、オケ(小編成の)を舞台奥に配置してるのも、いいな、と思ったし、
なんかこう、全体がひとつになった時のパワーとか、すごく、舞台から発せられるものが大きいなぁって思いました。
でね、たぶん、まだ歌とか台詞が、個々に馴染んでないんだろうな、とは思うんですけど、
感情とか気持ちは、演技でも歌でも、すごく伝わるんだけど、背景がね、伝わり辛いな、と。
要するに、ジョンはメアリのどこに惹かれて、メアリはジョンをどう好きで、
ジョンにとってのチームメイト個々の位置付けとか、メアリは、そういうジョンの仲間をそれぞれどう思ってるのか、とか、
サッカーしか見えなかったジョンが、何故政治に傾倒していって、どうしてそこからまた、自分を取り戻したのか、とか、
台詞にはない部分での、お互いの気持ちや感情の背景が、なんとなく、曖昧に見えるんです。
信仰ひとつにしても、敬虔な信者なのか、日常化・習慣化したものなのか、逃げ場や大義名分だけなのか、同じカトリックでも、その度合いは違うわけで、
じゃあ、信仰厚いメアリは、ジンジャーが亡くなったと聞いたら、十字をきって神に祈りを捧げる仕草があったほうが、より伝わるんじゃないか、とか、
トーマスがメアリの頭をポンっと叩いていくのは、実はメアリが好きだったからで、でも叶わないからジョンと引き離そうとしたんじゃないか、とか。
そういうのをね、それぞれが役を演じる上で、背景として持ってると、もっとリアルに伝わると思うんですけどね。
宗教が生活と関わってる感覚って、日本人には理解し難いものだし、
例えば、ジョンとメアリって、スキンシップの多いカップルなのに、“結婚するまで何も致しておりません”っていうのは、
メアリが敬虔なカトリック教徒であったが故だと思うし、(カトリックでは、堕胎が許されていないので、その原因になることは、×なわけです)
そういうのも、どこかで感じさせていかないと、ね。
あとは音楽的な部分で、例えば、優勝後のパブで最初に歌われる歌の最初の音だけが、本来のその曲の調性に合った音から半音下げて書かれているのは、
喜ばしい場面に何らかの不安要素を感じさせたいからなんじゃないか、とかね。
そういう、音楽から感じられる背景みたいなものも、歌う側が明確な意識を持って歌ったほうが、もっと伝わると思いました。
A.L.ウェバーの曲って、「歌おう」とすると難しくなるんですよね。
ジーザス〜』とか『キャッツ』とか、何曲か歌ったことありますけど、歌として歌おうとすると、難しいし伝わらないの。
だから、巧い人が巧く歌っちゃうと、実は歌詞が残らない。
「難しい」歌を「歌って」しまったら、そこだけの「歌」になっちゃうので。
お芝居の流れの一環としての「歌」と、一曲の中に全てを凝縮した、いわゆる「唄」は、同じに歌ってはいけないし、
ミュージカルの「歌」は、連鎖していくものだから。
・・・なんて、ね。
言うは易し、ですが。
歌いこなすだけでも大変だっていうことは、聴いてれば解るので。
(帰ってきてから、思い出せる分だけ口ずさんでみたけど、やっぱ難しいですもん)
まぁ、一週間二週間と、舞台を重ねるごとに日々発見して、それがまた個々の役の血肉となっていくんだと思います。
あ、そうそう。
個人的には、会場のロビーに、アイルランド関連の資料とかを展示して欲しかったです。
舞台上の彼らが生きた時代を、客観的な資料として、観劇前や休憩時間、観劇後に知ることが出来たら、
もっと、作品の根底にあるものを理解しやすいかなって。