薬味はお客のお気に召すまま

遊び



すっかり忘れてましたが、先週は舞台を観に行ってきました。
『間違いの喜劇』と『労働者M』です。
どちらも始まったばかりで、たぶん、楽日近くに観たら、また違うと思うんですが、
すごい、面白かったです。
役者さんたちは個性的だし、装置はカッコいいし、演出も面白い。
特に、『間違いの喜劇』は、訳してる方の言葉選びのセンスがすごく良くて、
シェイクスピアを日本語でやったら、まさしく、こういう言葉遊びだよなぁ、
っていう、ホントに絶妙な訳(やく)で。
2つのお芝居とも、もう笑いっぱなしって言うか、
時間が経つのを忘れちゃうくらいで。
なんかでも、“考える”っていう作業を、全然しなかったな、と思って。
シェイクスピアの場合は、言葉遊びをいかに役者が昇華して、
観客に伝えていくかってことが面白さで、
あとは、演出の仕方とかね。
でね。もしかしたら、最近の(と言うか、ここ10年ぐらいの)お芝居って、
レビュー化してきてるんじゃないかな、って。
労働者M』はね、休憩入れて4時間っていう舞台でも、全然長く感じなかったし、
やっぱりこれはナマで観るもんだとも思うんだけど、
ただ、受け取るのは感覚だけで、自分の中の思考って、動かなかった気がする。
なんだろう、上手く言えないんだけど。
もっとも、人間っていう生き物の愚かさを示して、何かを考えさせようという意識はあるのだろうし、
労働者M』を渋谷という街でやる意味もあるのだろうけど、
なんか、なんとなく、芝居というものの在り方が、変化しているのかも、と思いました。
単純に言うと、私はやっぱり、「人間」を描いている芝居が好きなので、
別に、こむずかしくなくていいのだけど、何かを得たいな、と思ってしまう。
コラボレーションよりは、セッションが好き、とかね。
作り上がったものよりも、創り上げてくものが好きなんでしょうね、たぶん。