来週はもうクリスマス!



なんか、お久しぶりですが。(笑)
色々、書きたいこともあったのですが、
なんとなく書かずにおりましたねぇ。


で、昨日は歌舞伎とバレエを観に行ってまいりました。
「十二月大歌舞伎」と「シルヴィ・ギエム 最後のボレロ」でございます。
まず、「十二月大歌舞伎」。
これはですね、ちょっと交通機関の関係で、1つ目が観れなかったんですよ。
で、2つ目の「猩々」っていうのから観たんですけどね、
なんかもう、猩々の二人(勘太郎くんと七之助くん)がやたらと可愛くて、
ホント、動物的というか。(あ、猩々っていうのは聖獣だそうです)
お酒が好きな猩々は、お酒売りが持ってきてくれたお酒を呑んで、
嬉しそうに舞い踊るんですけど、その呑みっぷりが、やたらと可愛い。
連獅子みたいな頭(赤くてフサフサしてて長いヤツ)なんですけど、
その前髪をふるふるっと揺らしてから、お酒を呑むんですね。
で、呑みながら、足を摺り足(・・でいいのかな?)みたいにして自転するんですけど、
それがすごく、“お酒が呑めて嬉しい!!”っていうのを表してて、可愛いんですよ。
踊り自体は、すごく激しいと思うんですけど、軽々と踊っていて、楽しかった♪
次の「三社祭」は、やっぱり勘太郎くんと七之助くんなんですけど、こちらは漁師の話。
魚を獲っているうちにヘンな雲に出会って、それに巻き込まれたら、ヘンな顔になっちゃった、みたいな。
これは本当に“舞踊”って感じで、でもコミカルで面白かったです。
最後は、勘三郎さんと玉三郎さんが出る「盲目物語」。
谷崎潤一郎氏の小説を脚色したものというだけあって、演出的にも、どちらかというと芝居っぽい。
玉三郎さんがお琴を披露したり、勘三郎さんが三味線を披露したり、贅沢でした♪
すごいなぁ、と思ったのは、七之助くん。
お茶々っていう役(浅井長政の娘、後に豊臣秀吉の妻)だったんですけど、
10代の時と20代の時で声が違うの。
初々しい娘時代の声と、奥方になった落ち着きのある声を、きちんと使い分けてて、すっごいなぁって思いましたよ。
声の訓練って、実は表現手段を増やす過程でいちばん大変だと思うんですけど、
若いのに、きちんと形として表してるのが凄いです。


夕方からは、妹と合流して、ギエムさんのバレエへ。
あのですね、実は共演している東京バレエ団については、そんなに期待してなかったんですよ。
だって、日本のバレエ団って、どこも同じような意識レベルだと思ってたから。
でもね、全員、“プロ”でした。
ホントに、観客に対して観せられるものを提供しよう、って意識があって、誰も甘えてないの。
レベルも高いし、非常に見応えありました。
あ、上野水香さんって人が、ものすごい上手くて、「なんだ!あの足の甲は!」とか「なんだ!あの安定感は!」って、
妹と二人で驚嘆してましたよ。
日本人のレベルもここまで来たか!!ってホントビックリでした。
で、ギエムさん。
あの人はですね、もう、踊ってないです。
踊りじゃなくて、演じてます。
ダンサーでありながら、踊ってる感覚がないの。
喋っているようですらあるの。身体全部が。髪の毛の1本1本まで。
今回、ソロの「Two」と「ボレロ」だったんですけどね。
ボレロ」なんてもう、最後泣きそうでしたよ。
人間ってここまで昇華出来るんだ、とか、伝わってくるものとか。
ベジャール氏がボレロを通して伝えたかったのは、色々あると思うんですね。
人としての成長とか、人類の進化とか、宇宙の誕生とか、自然の営みとか。
でも、私がいちばん強く感じたのは「欲」でした。
パンフレットにも、男女の欲望の物語を表現している、といった解説があるけれど、
私はそれよりもむしろ、“知欲と物欲の交錯”みたいなものを感じました。
人間は、何かを知りたいと思い、知るとそれを欲しいと思う。
手に入れればまた、進化したものを知りたいと思い、またそれが具現化されたものを欲する。
そして、次から次へと求める「欲」が、どんどん膨れ上がっていく。
それは、人間の進化にも通じているのだろうけど、とどまることを知らない「欲」は、一体どこへ向かうのか・・?
なんかね、私がギエムさんの「ボレロ」から感じたのは、そういうものでした。
・・もう一回観たかったけど、もうね、西のほうで2回とかしか残ってないの、公演。
はぁ・・。