視えるもの 聴こえるもの

ネコもおだてりゃ・・

バイオリンを始めて、結構身に付いたことが多いなぁと思うのですが、
実は、物の見え方なんかもちょっと変わってきていたりします。
バイオリンって、左手を訓練する楽器なので、たぶん右脳が多少使われるようになったんだと思うんですが、
目に映ったものをそのまま記憶するような、物の見方になってきているのです。
例えば、机の上に物がいくつかあったとして、それを覚えようとする時、何がいくつあって・・という風に覚えますよね。
でも、ここ何年かの私は、そのまま画(え)として記憶するようになっているんです。
だから、思い出す時は、浮かんだ映像の中の数を数えるような感じなんです。
これってなかなか面白いし、便利なんですよね。
子供の頃から音楽をやってる人は、物心つくかつかないかのうちから、そういう感覚らしいので、それが当たり前なのかもしれませんけど、
私は大人になってからなので、すごく新鮮で面白い。
そう、クラシックの楽器弾く人って、譜面をそのまま模様のように見るみたいです。
私はさすがにそこまでは出来ないですけど、自分の目に映るものが変わって見えるのは面白いですね。
ん〜、3Dの写真が立体的に見えるような時の感覚、かな。
あと、聴こえる音もちょっと変わったかもしれません。
クラシックやってて、クラシック音楽を聴いてると、倍音に耳が慣れてくるのか、
それまで聴こえなかった音が、CDとか演奏とか聴いてても聴こえるようになってきます。
これもなかなか面白いです。
弊害は・・。感情の起伏が前より激しくなったこと、かな。
優しくなることも、怒りを覚えることも、前より多くなった気がします。
ひと言で言うと、ワガママ。(笑)
ま、悪いばっかりじゃないですけど。
言語に置き換えられない感情というものを、そのまま持っていられるようになっている割合が多くなったので、整理がつかないことがありますね。
これは、音楽で表現をするということにおいては、必要なことだと思うので、仕方ないんですけど。
元々、言葉以外の表現方法が欲しくて、始めたわけですから。
音楽をどう表現するかという点で、言葉では表せないものもたくさんあるのですが、
そういう部分は逆に、音楽で昇華していくしかないのかもしれません。
さて、ここでクェスチョン。
“自己表現として、音楽をやっていくことはシアワセなのか・・?”
どうなんでしょうね。
私は音楽家じゃないので、よくわからないんですけど。
知人を見ていると、楽しさも苦しさも半々ってとこでしょうか。
それはたぶん、形を変えて、どんな職業でも同じなんでしょうけどね。